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2008年03月11日(火)更新

「火の海」につつまれた後は「焼け野原」となった東京大空襲(下)

東京大空襲による「焼け野原」
この「焼け野原」が磯部商店の創業を生み出す契機になりました。

衣食住のすべてを失った墨田、江東地域の人たちが生きる希望を持つことが
できたのは、すぐ隣に“人”がいたからです。

横たわった人々は逃げ延びた疲れとすすけた顔、
わずかに生き残った人と人が互いに助け合い、
わずかに残った食べ物を分け合い、
励ましあって命をつないできたのです。

はたして何処の国の話でしょうか?とお思いでしょうが、
現在の東京の63年前の現実の姿です。

昭和20年8月15日の終戦とともに
日本国の土を踏んだ創業者は、
「焼け野原」ではどうすることもできず、
長野県玉川村の母の実家に一時身を寄せることになりました。

翌昭和21年の春ごろと聞いていますが、
「焼け野原」に磯部商店を始めるために単身上京、

あちこちから拾い集めたトタン板、廃材を集めて
バラック屋根の家を作るところからはじめました。

食べ物は長野の疎開先から送ってもらいながら
必死に食いつないで、仕事を始める準備をしました。

何処で手に入れたのか、ミシンが一台、
裁断板とナイフ、

最初につくった製品が赤ちゃんのおむつカバーでした。
赤ちゃんのおむつは、着古した浴衣を解いて家庭で縫っていました。

おむつは使い古すと雑巾になりました。

今のリサイクルを見事にやっていたことになります。

おむつは家庭で手に入れることができても、
おしっこをカバーする製品、おむつカバーは、
家庭で手に入れることができませんでした。

家庭で手に入れられないものが、
商売となる原点です。

人類が生まれてくる限り、どんなに世の中が変わろうとも
赤ちゃんは必ず生まれてくる。

いつの時代でも赤ちゃんの健康を願う気持ちは変わらない。
赤ちゃんの健康を願っていいおむつカバーをつくろう!

これが磯部商店の始まり、創業の精神です。

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人を想い、笑顔を創る。
 すべては「健康快互」から。

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磯部成文@FOOTMARK
http://www.footmark.co.jp/
http://www.ukiuki.jp/
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